7冊目『カレーライス!大盛り』杉田淳子
~カレーライスにゃかなわない~
どうも、鈴木です。
自分と共通点のある人や物って、ついつい興味を持ってしまいませんか?
「出身地が同じ」「好みが同じ」「共通の知人が居る」等々。
その中でも「同い年」というのも魅力的ですよね。
それが人であれば当然ですが、物や芸術作品、会社(ブランド)であっても同様です。
そんな中、僕は最近気付きました。
ちくま文庫は僕と同じ1985年生まれだという事に!
以前、本屋のちくま文庫の棚に「1985年生まれ」みたいなポップが飾ってあって、まんまとおじさんホイホイされてしまいました。笑
ちくま文庫は厳密には会社ではなく、株式会社筑摩書房の運営している文庫レーベルです。
僕は出版社や文庫レーベルごとの特性などは殆ど知らないのですが、ちくま文庫の本はテーマやジャケットがなんか刺さるんです!
なんか、こう、拘っている感じが凄く伝わってくるんです。
それは以前紹介した河出文庫も同じですが、なんか、気持ち良いデザインなんです。
そして、肝心の内容ですが、いわゆるオムニバス形式で有名な作家陣のカレーにまつわる話が収録されています。
池波正太郎、伊集院静、伊丹十三、五木寛之、井上ひさし、内田百聞、林真理子、よしもとばなな、等々ビッグな面々です。
僕は料理をしないので、そういった説明箇所については流し読みをしてしまう部分もありますが、基本的に小さい頃に食べた「ライスカレー」を語るノスタルジーな内容のものが多い点に魅力を感じました。
本人にしか分からない思い出に入り込む感覚です。
あと意外だったのが、個人的には作家さんよりも、漫画家や大学教授、ミュージシャンの文章の方が心にストレートに響いたという点です。
あまり格好つけていないからなのかな。
なんかそこにも「蕎麦屋のカレー」的な魅力を感じました。
恐らくこの本はシリーズ化されていないと思うのですが、ラーメンやケーキ等の様々な食べ物や、自動車やレコード等をテーマにしても面白いものになりそうです!
ちくま文庫さん、是非お願いします!笑
カレーを食べながら、のんびーり読みたい本です。
ちなみに僕はカレーを食べた後のアイスコーヒーが大好きです!
6冊目『古書古書話』荻原魚雷
~こんな人生もアリだな~
どうも、鈴木です。
僕には養うべき家族が居て、会社勤めをしている為、自由奔放な生活をする訳にはいきません。
もし独り身だったら、日雇いのアルバイトをして適度に稼ぎ、生活費を極限まで節約して、毎日部屋でゴロゴロしたり公園を散歩する生活をする事が理想です。
ガッツリ稼がなくても、節約の努力をすればお金に苦労はしないと思います。
例えば時給800円のアルバイトを1日7時間、月に22日(土日休む)働いたら、、、
800円×7時間×22日=123,200円
月給としてはかなり安いけれど、一人暮らしであれば問題無いと思います。
家賃30,000円の安い物件であれば、
残り93,200円
光熱費が10,000円だとすれば
残り83,200円は自由に使えます!
食事なんてなんでも良いから1日1,000円で
1ヵ月30,000円
すると残りは33,200円を自由に使えます!
古本1冊300円だとしても100冊買えます。
だからアルバイトの時間以外は公園でビール飲んで、家で昼寝して、読書して暮らしたいです。
そんな生活をするデメリットは「親戚に合わす顔が無い」という点だけであとは気楽だと思います。
年末年始の気まずさだけ耐えればあとは気楽な360日!!
なんて事まで妄想してしまうほど、のんびりした生活への憧れがあります。
「いやいや!成長するためには仕事をするべきだ!」とか「社会との接点が人を強くする」とか「仕事はやりがいが大切」とか、本当は誰も心の底から思ってもいない事を、みんな同じ顔で言ってきますよね。。
そんな生活からは早く抜け出したいです。
、、、この『古書古書話』の著者荻原魚雷さんがそんな事を考えていらっしゃるかは分かりませんが(笑)、「やりたくない事は極力やらない。古本屋巡りと読書に時間を割きたい」という強い拘りをもった方です。
内容としては荻原さんが買った古本屋の内容や感想を1冊数ページでまとめてくれております。
本の種類は小説から実用書など非常に幅広く、荻原さんが本物の「読書ジャンキー」である事が分かります。笑
「読書=自己啓発」という認識を強く持ちすぎている人が多く、なんだか、嘘臭く、疲れてしまいます。自己啓発本は僕も一時期好きでしたが、僕自身はそれをうまく実生活に活かせないタイプなので、今後はほとんど読まないと思います。。
荻原さんも同じタイプなのか、自己啓発本は取り上げていなかったと思います。
良い意味でこの本は「意識低い系」です!
お酒を飲みながら、ダラダラと読むのがオススメです。笑
5冊目『黒冷水』羽田圭介
~生活感の魅力~
どうも、鈴木です。
価値観って変化していきますよね。
食べ物、服装、交遊関係などなど、、。
昔は「揺るがない確固たる価値観」を手に入れたい気持ちがとても強かったです。
しかし歳を重ねて、少し考え方が変化しました。
「変わり続ける価値観を味わおう、観察しよう」というスタンスになりつつあります。
僕の中で最近特に変化しつつあるのは「生活感」に対しての捉え方です。
20代の頃は、部屋はシンプルでアーバン(笑)なデザインやレイアウトに拘っていましたが、30代になり子供も生まれた今、そんな事は言ってられないので細かい事が気にならなくなりました。
また小説の内容についても以前は固有名詞を使わない、普遍的かつ生活感の無い作品を好んでいましたが、今は寧ろ逆になってきています。「生活感を下さい!」とすら思っています。
つまり「港区で」とか「ベンツの車」とか「MDウォークマン」とか「モーニング娘」とか、、もうめちゃくちゃな羅列ですが、、。
例えばこれが三島由紀夫の作品であれば、大正時代、昭和初期の有名人や流行りの洋服の呼び方等がそのまま記載されており、その時代に引き込まれるというか、ノスタルジーが感じられるのです。
あと、これはもう感覚的な話ですが、固有名詞が入ることで、少し生々しくダサくなると同時に格好良さみたいなものもセットで発生するような気がします。
例えば、、、
「寂しい裏通りをあるく」よりも
「コーラの空き缶や片方の靴下が落ちている幅2メートルの狭い道を猫背で歩く」
という表現の方がスタイリッシュさは欠けるのですが、何か「開き直りの格好良さ」みたいなものを感じます。
これまた変な例えになりますが、
20代の頃は都会の生活に憧れていたので、地元の話を聞く機会があると、なんとも言えない嫌悪感というか恥ずかしさみたいなものがありました。
まあこれは田舎者あるあるでしょうけどね。笑
ただ、今はむしろ家族や地元の友達から積極的にそんな話を聞きたいとさえ思っています。「同級生の◯◯ちゃんの家のラーメンが△△に移転する」とか「◯◯のゲームセンターが去年閉店した」とか、そんな話がなんかむしろ格好良く感じられるのです。
剥き出しの果実の様に思えてきます。
羽田圭介さんの『黒冷水』にはそんな要素が満載です。意図的なのか、ただありのままを書いているのか分かりませんが、生活感の塊みたいな作品です。
更に!僕に羽田圭介さんの作品が刺さる理由として、彼と同い年という要素が大きいと思います。やはり同じ時代を過ごしているので見ているものや、経験しているもの、感じ方に近いものを感じます。
この作品はざっくり言うと「兄弟2人の確執
と心の闇」という感じでしょうか。
全体的に暗く、狂気を感じます。
恐らくこれは羽田さんが高校生の頃に書いたものだからでしょう。
何か閉塞感、焦燥感が感じられます。
運動部で、生徒会で、恋愛でキラキラした時間を過ごす青春をA面と呼ぶのであれば、この作品はB面の最後の最後にこっそり収録された隠しトラックです。
そこには湿度の低いカラッとした笑顔は有りません。
でもそこに何か引き付けられてしまいます。
彼の作品は他に『スクラップ&ビルド』も読みました。同様に面白いです。
他の作品もこれから読むつもりです!
4冊目『鉄塔のひと』椎名誠
~魅力的なギャップ~
どうも、鈴木です。
人も物も芸術も、世の中のものには何にでもギャップを感じる事って多くないですか?
これは意外なようでいて、実は当たり前の事なのかもしれません。
何故なら僕達は対象物の実態が自分の想像から少しでも外れると、「ギャップがある」と判断するからです。
それは言い換えればこちら側の想像力が欠如しているという事でしょう。いや、多分ね!
「あの人って意外と暗い性格なんだな」
「この街って意外と広いんだな」
「大人って意外と大した事ないな」
それはただ、こちらの想像や事前情報が足りなかった、という事でしょう。
月の裏側みたいなものでしょうか。
椎名誠さんの『鉄塔のひと』を読んだ時、まさに「今までの椎名誠のイメージと全然違うな~」というのが第一印象でした。
どんなギャップかというと主に以下の2点です。
①ノンフィクション(旅もの)以外も書く
②しかも意外とブラックな作風
クラスの人気者の家に遊びに行ったら、意外と家の中が暗い雰囲気だった時の感覚に似ています(実体験)
これはコアなファンにしか分からない表現ですが『鉄塔のひと』は、THE BLUE HEARTS の4枚目のアルバム『BUST WASTE HIP』の様な雰囲気を持っています。
言語化するのが非常に難しいのですが、一見明るい雰囲気があるが実はブラックで、皮肉っぽくて、ギスギスしていて、でも素直なエネルギーも溢れていて、どこか懐かしさがあって、生き生きしているようでいて死と隣り合わせの様な、だからこそそんな不安定さに格好良さを感じる、そんな雰囲気なんです。
恐らく両者の発売された時期が近いという事にも少し関係があるのかもしれません。
『BUST WASTE HIP』は1990年発売
『鉄塔のひと』は1994年発行
詳細は分からないのですがバブル崩壊後の不景気を引きずっている時代だからこそ、この雰囲気になるのかもしれません。あくまで想像ですけどね!
『鉄塔のひと』は10話の短編で構成された作品です。
基本的には著者の旅先での出来事を題材にした内容になっております。
それだけ聞くと「ああ、なんだ、エッセイみたいな感じか」と思われるかもしれません。
確かにエッセイの要素もあるのですが、SFやホラーの要素もちりばめられており、それがなんともまあ不気味なんです。。
物語の途中から非現実的な出来事や人物に遭遇し、そこから歯車が狂い始めるのです。
情景の描写にリアリティがあり、恐怖心や好奇心を掻き立てられます。
あまりハッピーエンドという感じの話はないのですが、だからこそ個人的には心地良さが感じられます。
なんというか僕自身、ネガティブで根暗な性格なので、キラキラした前向き過ぎるものには気持ちが追い付かないのです。
「嫌い」とはまた少し違い、あくまで「追い付けない」という感覚です。
その点でこの本は全般的に暗い、殺伐とした空気が充満して、「心地良い不快さ」みたいなものが感じられます。
こういう本を読むと、気力が少し湧いてきます。
溢れる、とか吹き出す、ではなくあくまで地熱の様にじんわりと湧いてくる感じです。
「世の中は基本的に暗くてしんどいものだよな」という考えをもっておくと、外的な困難に対しての免疫がついてくるように思います。
そんなお守りというか、お薬的に読めるのが僕にとっての『鉄塔のひと』です。
なんかもう、疲れきった人に読んでみてほしいです。全く元気づけたりしてくれないから良いですよ~。笑
3冊目『コンビニ人間』村田沙耶香
~ファミマにでも行くか~
どうも、鈴木です。
突然ですが、僕は「それぞれの人生がそれぞれ動いている」という事が感じられる風景や場面が大好きです!
ん?
急にそんな事を言われても全く意味が分からないと思いますが。笑
少しお付き合いください。。
仕事やお金、健康の事など不安や心配な事があり、悩んでいる時は特にそういう風景を求めてしまうんです。(やられてるね)
その心理としては「自分の他にもみんな色々と苦労をしているんだから、あまり思い詰め過ぎないようにしよう」と思いたい気持ちがあるんでしょうね。
負の連帯意識というか、安心感というか。
まあ、青空や海を眺めるのと同じ心理状態だと思います。
その感覚が僕の中でガラパゴス化した、とでも言えば良いのでしょうか。笑
夜に眺めるマンション。
それぞれの部屋の光が見える時、まさにそれを感じられます。
でもそれはあくまで光でしかないので、もっとリアルに感じたいのです。(大丈夫?)
それをお手軽に味わえるのはコンビニエンスストアだと思います。
老若男女というカテゴリーだけでなく、色々な状況の人がいます!
買いたいものがハッキリ決まっている人、なんとなくブラブラしに来た人、仕事終わりの人、仕事をしてない人、仕事中の人、毎日来ている人、たまたま来た人など。。
その日、その時にしか実現しないメンバーが店内にいるわけです!それってなんとなく楽しくも、不思議な気持ちになりませんか?
本当は5時間くらい、それを定点観測したい訳ですが、それは不審者でしかないので、長くても20分程度で店を去ります。
ずっと店内で人間観察が出来る人が羨ましいです!そんな立場の人なんていないか~、、あ!居た、コンビニ店員だ!笑
『コンビニ人間』の主人公はまさに人間観察を楽しみつつ、コンビニ業務を機械のように淡々と(良い意味で)こなしています。
この本の要点は「コンビニで働いている時しか自分らしさを感じられない不器用な人間と、彼女を取り巻く『普通』の人達とのお話(小さな戦い?)」です。
僕はコンビニのアルバイト経験があり、また客としても現在ヘビーユーザーなので、店内や業務、商品についての描写は風景が浮かび、なんとなく楽しくなりました。
何故か人の何気ない日常を垣間見ると、僕は元気、というか意欲が少し湧いてくるのです。かなり感覚的なものなので言語化は極めて難しいですが、、。
「結婚よりも、商品の陳列」
「ウワサ話よりも、今週の店内フェア」
そんな調子の主人公なので当然周囲から浮いた存在になっています。
この本の模範的な捉え方としては「わかる!自分も世間に合わせる事が苦手なんだよな~。でもその中で葛藤していかなきゃいけないよな。なんか孤独感がなくなった」的なものかもしれません。(勝手な読者像ですが)
僕の率直な感想としては
「うわー、なんか偏屈な人だな~。職場に居たら嫌だな~。」でした。
この本は読む人によって、「どちら側の視点になるのか」が大きく異なると思います。
色々な意見はあると思いますが、
僕は単純にズレた観点でこの本を読んでいるような気がします。
結論→コンビニって便利だよね。
2冊目『死をポケットにいれて』チャールズ・ブコウスキー
~意識低い系の美学~
どうも鈴木です。
僕はモノを買うとき「見た目」を最も重視します。中身も大切ですが、「見た目」も機能の一部だと思っています!
この本もまさに「ジャケ買い」でした。
確か友人との待ち合わせ前に時間があったので紀伊国屋書店で買いました。
河出文庫の本はジャケ買いをしたくなる作品が多いです。拘りが感じられます。
うまく表現出来ないのですが、購買意欲を刺激すれるデザインなんです。笑
本当にジャケ買いなので、作者の情報なんて何も知らないまま買いました。
チャールズ・ブコウスキーという人です。
その後、調べてみました。
ざっくり説明すると、、、
・ドイツ系アメリカ人
・おっさんになってから売れたので
それまでは無名だった
・ストーリー、文章ともにパンクな感じ
・小説だけでなく詩も書く
彼について調べると「無頼派」という表現で語られる事が多いが、馴染みのない言葉なので僕は「パンク」という風に解釈しています。笑
本の内容は、作者の日記です。
やっていることは、
・競馬に行く
・酒を飲む
・文章を書く
これだけをただ延々と書いています。
ストーリーを重視して本を読む人にとってはあまり魅力が感じられないかもしれませんが、僕はこういうの大好きです!
エッセイや日記は面白い!
板尾創路さんの「板尾日記」にも似たユルさと暖かさが感じられます。
たまに刺さる事を言うのもブコウスキーの魅力です。
「腹が減ったら、文章を書くことなんてどうでも良くなる。芸術よりもまずは腹を満たすべきだ」みたいな事も言っており、それを読んだ時、僕は「この人は信頼出来る!」と感じました。笑
是非意識低い系の方は読んでみて下さい!
『死をポケットに入れて』チャールズ・ブコウスキー
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%82%92%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%A6-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%96%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/4309462189
1冊目『女神』三島由紀夫
僕が三島由紀夫を読み始めた理由は、
「三島由紀夫をよく読みます」とか言えたら格好良いよな~、という下らない、見栄っ張りなものでした。
そんなきっかけでしたが、今となってはそんな中二病丸出しの自分に感謝しています。
読んでみたら、思っていたよりも分かりやすく、ガッツリはまりました。
三島作品は深く、完成度が高いと評されます。それは間違いないと思います。
ただ、僕が三島作品が好きな理由はもっともっと表面的な部分です。
それは以下の点です。
・文章が美しい
・心理描写などの例えが秀逸かつ共感出来る
・登場人物が基本的に美男美女かつ色気がある
・癖になる退廃的な雰囲気が漂う
三島作品にはほぼ上記が共通している気がします。
一般的には『金閣寺』や『仮面の告白』が三島の代表作という見方をされていますが、個人的には上記2作品にはあまりピンと来ないのです。。
主に以下の理由かな?と感じています。
・主人公の価値観に共感出来ない
・なんかシリアスな雰囲気が疲れる
・盲目的に「三島と言えば金閣寺」という「信者」みたいな価値観を持ちたくないという反抗心
なんというか僕には、「三島作品をライトに楽しんでも良いよね?」という思いが強いのです。
多分「三島作品とはこう捉えるべきである」という確固たる考えをお持ちの方からすると、このブログはスカスカの天ぷらの様に感じられるかもしれませんが、僕が伝えたいのは、、「衣も美味しいよ~」という事なんです。(愚)
ある意味、このブログはそういった「読書警察」へのささやかなアンチテーゼとも言えます。(笑)
前置きが長くなりましたが、、
『癒しの読書』記念すべき1冊目は
『女神』(三島由紀夫)です!
まずタイトル、表紙からしてもう間違い無いです!
三島作品は「美意識」や「愛」(時には人工的な)がテーマである事が多いです。
その美意識や愛の様々な形を楽しむという感じでしょうか。
『女神』は表題作品の他にも複数の作品が納められている、短・中編のものです。
その中でも特に「これは良い!」と思ったものを紹介します!
ネタバレがあるといえば、あるのですが、
僕の説明の稚拙さにより、ネタバレを防げるのではないかと思っております。悲しい。。
『女神』
本を読むと、その物語から特定の曲を連想する事って無いですか?
毎回そうなる訳ではないんですが、この『女神』に関してはなんとなく、ドビュッシーの『デルフィの舞姫たち』という曲が頭に浮かぶのです。
スローテンポで穏やかなピアノソロの楽曲です。
この曲についての詳しい背景や解説は分からないのですが、曲名の通りお姫様が優雅に舞っているというイメージが湧きます。
『デルフィの舞姫たち』(YouTube)
https://youtu.be/rpEVKrLsAKs
この作品はざっくり言うと、
娘を美しく育て上げる父親と、その娘に恋をする若い男性2名の、「四角関係」の物語です。
本質的な部分では無いのですが、最も印象に残ったのは登場人物の美意識や気障な価値観です。
普通の感覚では「なんか鼻につくややこしい人達だな」という事になりそうですが、僕は「そういう美意識って大切かもな~」という具合で作者の予期せぬ部分に高揚感を抱きました。
三島作品を読んでいる時の高揚感は、IKEAで家具を眺め、「このテーブルを家に置いたらこんな生活が出来るかな??」等と想像する時のそれに近いものがあります。
つまり「こんな価値観を実生活に持ち込みたいな」という願いです。
実際にそれは叶わないのですが、ついクセになる感覚です。
この話の解釈は難しいのですが、
個人的には以下の通り捉えました。
・自分の美意識を娘に押し付けて満足する父親
・それに抵抗を感じつつも、従う娘
・なんやかんやあって、父親の美意識に沿って育ってしまう娘
・ただその美しさは本人達の想定を越える範囲のものになりつつある
うーん、自分で書きつつも
的を射ない部分もあるんですけどね。。
ただ、タイトルの通りどことなく品があり、かつ影も感じられる作品です。
話は変わりますが、三島作品はどことなく椎名林檎さんの楽曲を連想させるものがあります。
恐らく登場人物のキャラクターの雰囲気や、文章の表現によるものだと思うのですが。
『女神』に収録されている作品も『哲学』『伝説』『接吻』など、いかにもな漢字タイトルが多く、「椎名林檎さんは三島作品ファン?」と勝手な想像をしてしまいます!
真相は不明ですが、そうだったら嬉しいです。
と、まあこんな感じで第1回目の作品紹介は終了となります。
僕は何度も同じ作品を読むタイプですので、今後もこの記事を更新すると思います!
その時には感想や解釈が変わる事もあるかもしれませんが、そこは許してください!
以上です。
何事もライトな入口を好む方にはそこそこ適切だと思いますよ~!
読んで頂きありがとうございました。