4冊目『鉄塔のひと』椎名誠
~魅力的なギャップ~
どうも、鈴木です。
人も物も芸術も、世の中のものには何にでもギャップを感じる事って多くないですか?
これは意外なようでいて、実は当たり前の事なのかもしれません。
何故なら僕達は対象物の実態が自分の想像から少しでも外れると、「ギャップがある」と判断するからです。
それは言い換えればこちら側の想像力が欠如しているという事でしょう。いや、多分ね!
「あの人って意外と暗い性格なんだな」
「この街って意外と広いんだな」
「大人って意外と大した事ないな」
それはただ、こちらの想像や事前情報が足りなかった、という事でしょう。
月の裏側みたいなものでしょうか。
椎名誠さんの『鉄塔のひと』を読んだ時、まさに「今までの椎名誠のイメージと全然違うな~」というのが第一印象でした。
どんなギャップかというと主に以下の2点です。
①ノンフィクション(旅もの)以外も書く
②しかも意外とブラックな作風
クラスの人気者の家に遊びに行ったら、意外と家の中が暗い雰囲気だった時の感覚に似ています(実体験)
これはコアなファンにしか分からない表現ですが『鉄塔のひと』は、THE BLUE HEARTS の4枚目のアルバム『BUST WASTE HIP』の様な雰囲気を持っています。
言語化するのが非常に難しいのですが、一見明るい雰囲気があるが実はブラックで、皮肉っぽくて、ギスギスしていて、でも素直なエネルギーも溢れていて、どこか懐かしさがあって、生き生きしているようでいて死と隣り合わせの様な、だからこそそんな不安定さに格好良さを感じる、そんな雰囲気なんです。
恐らく両者の発売された時期が近いという事にも少し関係があるのかもしれません。
『BUST WASTE HIP』は1990年発売
『鉄塔のひと』は1994年発行
詳細は分からないのですがバブル崩壊後の不景気を引きずっている時代だからこそ、この雰囲気になるのかもしれません。あくまで想像ですけどね!
『鉄塔のひと』は10話の短編で構成された作品です。
基本的には著者の旅先での出来事を題材にした内容になっております。
それだけ聞くと「ああ、なんだ、エッセイみたいな感じか」と思われるかもしれません。
確かにエッセイの要素もあるのですが、SFやホラーの要素もちりばめられており、それがなんともまあ不気味なんです。。
物語の途中から非現実的な出来事や人物に遭遇し、そこから歯車が狂い始めるのです。
情景の描写にリアリティがあり、恐怖心や好奇心を掻き立てられます。
あまりハッピーエンドという感じの話はないのですが、だからこそ個人的には心地良さが感じられます。
なんというか僕自身、ネガティブで根暗な性格なので、キラキラした前向き過ぎるものには気持ちが追い付かないのです。
「嫌い」とはまた少し違い、あくまで「追い付けない」という感覚です。
その点でこの本は全般的に暗い、殺伐とした空気が充満して、「心地良い不快さ」みたいなものが感じられます。
こういう本を読むと、気力が少し湧いてきます。
溢れる、とか吹き出す、ではなくあくまで地熱の様にじんわりと湧いてくる感じです。
「世の中は基本的に暗くてしんどいものだよな」という考えをもっておくと、外的な困難に対しての免疫がついてくるように思います。
そんなお守りというか、お薬的に読めるのが僕にとっての『鉄塔のひと』です。
なんかもう、疲れきった人に読んでみてほしいです。全く元気づけたりしてくれないから良いですよ~。笑