5冊目『黒冷水』羽田圭介
~生活感の魅力~
どうも、鈴木です。
価値観って変化していきますよね。
食べ物、服装、交遊関係などなど、、。
昔は「揺るがない確固たる価値観」を手に入れたい気持ちがとても強かったです。
しかし歳を重ねて、少し考え方が変化しました。
「変わり続ける価値観を味わおう、観察しよう」というスタンスになりつつあります。
僕の中で最近特に変化しつつあるのは「生活感」に対しての捉え方です。
20代の頃は、部屋はシンプルでアーバン(笑)なデザインやレイアウトに拘っていましたが、30代になり子供も生まれた今、そんな事は言ってられないので細かい事が気にならなくなりました。
また小説の内容についても以前は固有名詞を使わない、普遍的かつ生活感の無い作品を好んでいましたが、今は寧ろ逆になってきています。「生活感を下さい!」とすら思っています。
つまり「港区で」とか「ベンツの車」とか「MDウォークマン」とか「モーニング娘」とか、、もうめちゃくちゃな羅列ですが、、。
例えばこれが三島由紀夫の作品であれば、大正時代、昭和初期の有名人や流行りの洋服の呼び方等がそのまま記載されており、その時代に引き込まれるというか、ノスタルジーが感じられるのです。
あと、これはもう感覚的な話ですが、固有名詞が入ることで、少し生々しくダサくなると同時に格好良さみたいなものもセットで発生するような気がします。
例えば、、、
「寂しい裏通りをあるく」よりも
「コーラの空き缶や片方の靴下が落ちている幅2メートルの狭い道を猫背で歩く」
という表現の方がスタイリッシュさは欠けるのですが、何か「開き直りの格好良さ」みたいなものを感じます。
これまた変な例えになりますが、
20代の頃は都会の生活に憧れていたので、地元の話を聞く機会があると、なんとも言えない嫌悪感というか恥ずかしさみたいなものがありました。
まあこれは田舎者あるあるでしょうけどね。笑
ただ、今はむしろ家族や地元の友達から積極的にそんな話を聞きたいとさえ思っています。「同級生の◯◯ちゃんの家のラーメンが△△に移転する」とか「◯◯のゲームセンターが去年閉店した」とか、そんな話がなんかむしろ格好良く感じられるのです。
剥き出しの果実の様に思えてきます。
羽田圭介さんの『黒冷水』にはそんな要素が満載です。意図的なのか、ただありのままを書いているのか分かりませんが、生活感の塊みたいな作品です。
更に!僕に羽田圭介さんの作品が刺さる理由として、彼と同い年という要素が大きいと思います。やはり同じ時代を過ごしているので見ているものや、経験しているもの、感じ方に近いものを感じます。
この作品はざっくり言うと「兄弟2人の確執
と心の闇」という感じでしょうか。
全体的に暗く、狂気を感じます。
恐らくこれは羽田さんが高校生の頃に書いたものだからでしょう。
何か閉塞感、焦燥感が感じられます。
運動部で、生徒会で、恋愛でキラキラした時間を過ごす青春をA面と呼ぶのであれば、この作品はB面の最後の最後にこっそり収録された隠しトラックです。
そこには湿度の低いカラッとした笑顔は有りません。
でもそこに何か引き付けられてしまいます。
彼の作品は他に『スクラップ&ビルド』も読みました。同様に面白いです。
他の作品もこれから読むつもりです!